「自己チューな人ほど深く傷つく」
私たちは生きている限り心に傷を負います。
他人から心無いことを言われ、ショック
な出来事に遭遇し、年を重ねるほど心の
傷は増えていくでしょう。
人間は誰でも心に傷を負っていますが、
それがトラウマとなって心の病を引き
起こすこともあれば、病とならずに
癒えていくこともあります。
では、その違いはどこにある
のでしょうか?
本人にとっての理不尽度が違うのです。
では、何が理不尽度の差を生むのかと
いうと、それは自己責任感お大小です。
ショックな出来事に対して「自分にも
責任がある」と感じる人にとって、
その出来事の理不尽度は小さく、
反対に、その出来事に対して「自分
には責任がない」感じる人にとっては、
理不尽度は大きくなります。
例えば、キレやすい職場の先輩が
「この仕事、急ぎで頼むよ」と
こちらの都合も考えずに仕事を丸投げ
してきたとします。
あなたは自分の仕事で多忙で引き受け
られない場合、あなたはこんなふうに
丁重に断ります。
「今、私も忙しくて・・・・。
すいませんが、他の人に頼んでもらえ
ませんか」
すると、先輩は急に怒り出し、
「俺だっていつもお前の仕事を手伝って
やってるじゃないか・・・・・・。」
このような場合、二つの反応の仕方が
あります。
「こっちの状況を考えずに無茶ぶり
してくるあんたが悪いんだろ」
と心に傷を受けつつ、「自分には責任が
ない」ことを前提に相手を責めるパターン。
もう一つは、相手を責めたい気持ちを
ぐっとこらえ、
「先輩も忙しくてイライラしているんだな。
確かに、俺の方も先輩に手伝ってもら
ってることもあるし、お互い様だよな」
と、客観的に状況を見ようと努め、自分の
責任も認めるパターン。
前者のおうに「自分には責任がない」と
考える場合、先輩との関係がギクシャク
するのは必至です。
一方、後者のように「自分にも責任がある」
と考える場合、先輩にキレられたショック
を引きずる可能性はかなり低くなります。
理不尽な出来事に遭遇したときに、
「なんの責任もないのに自分だけひどい
目にあった」と相手を責めるだけの人は
「自分中心な人」、いわゆる「自己チュー
な人」です。
ここでいう「自分にも責任がある」とは、
例えば夜道を1人で歩いていて暴漢に
襲われた人に対して、不用人な人にも
責任がある、などと責めることとは
違います。
そうではなく、私たちは生きていく以上、
さまざまな理不尽を引き受けていかねば
なりません。それが生きていくという
ことだからです。
さまざまな理不尽を引き受け、この世界の
ことわりを踏まえて生きていく心構えの
ことを「責任」といっているのです。
「責任」をもって、抽象度を高くし、
利他の心で協力し合い、生きていきましょう!